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おはよう。こんにちは。こんばんは。
いかがお過ごしですか。
緑の美しい季節となりましたね。
鳥のさえずりも気持ち良く、風が吹く日は気持ち良く、何だか眠くなってしまいます。。。
さて。
お知らせです。
インスタグラムにて絵本アカウントをつくりました。
ささやかではありますが、こちらと同じくのんびりと本気です。
イメージとしては エッジのきいた優しい別空間 をやっていけたら面白いかなーと。
始めたばかりの試運転で投稿ペースはまだゆっくりのポツポツ。。。
やりたいことはあるけれど思うようにはかどらずもどかしい状況なのですが、焦らず諦めず、徐々にペースや内容をあげていけたらと考えています。
よろしければいつでも、ふらりと遊びにいらしてください。
そのうち梅雨やら台風やらがやって来るのかな。
ともあれ どうぞお身体大切にお過ごしください。
佳き初夏が訪れることを願いつつ。。。
ああ 心はいつも自由でありたい。
インスタグラムアカウント … @eno.hon
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ようこそ、五月。
古い硝子に木香薔薇でお出迎え。
五月に始めたこのブログ、おかげさまで十一年目となるようです。
いつも同じような言葉になってしまうのだけれど、
偶然通りかかって下さった方々、気にかけて立ち寄って下さる方々、
友や家族たち、いつもありがとうございます。
心からの感謝を送らせていただくと共に、
心から、健康と幸せをお祈りいたします。
五月の風は気持ちよいな。
微かに香る薔薇の香りが優しい心にしてくれる。
お茶でも淹れましょうか。
I belive if there's any kind of God it wouldn't be in any of us,
not you or me but just this little space in between.
If there's any kind of magic in this world it must be in the attempt of understanding
someone sharing something.
I know, it's almost impossible to succeed but who cares really?
The answer must be in the attempt.
Before sunrise & Before Sunset : Two Screenplays / Jullie Delpy
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アンティークの白い茶杯にあう茶托をずっと探していてやっと出会えました。
茶托としては見立てであって、そもそもはお皿なのだけれど。
作られた年代や国や素材などが全く違うものが、ふと 出会う。
そんな場面に立ち会えた喜び。
一人笑みを浮かべてちょっと怪しい人なのでした。
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『岸田劉生展 Riusei Kishida A Retrospective』
at.東京ステーションギャラリー(2019.08.31-10.20)
恒例の、のんびりタイムラグポスト。10月初旬に行ったような記憶。
ギャラリーエントランスにてパシャリ↑
観終わったお昼過ぎはちょうど構内に差し込む光が強く、反射光とライト機材の影がバッチリ。
入る前に撮っておけば良かった…と思ったけれど、ファインダーをのぞいて見たら意志的な白光と硝子の青緑色が何とも綺麗。『壺の上に林檎が載って在る』(1916年)を思い出し、期せずして劉生へのオマージュとなりました。
ということにしておこっかなー。。。
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岸田劉生・・・(Riusei Kishida 1891−1929)
ジャーナリスト岸田吟香(1833-1905)を父として東京・銀座に生まれる。九人兄弟の四男。
父の死後にキリスト教会の牧師を志すが、独学で水彩画を描きはじめ、黒田清輝の主宰する白馬会葵橋洋画研究所で本格的に油彩画を学び、画家としての道を歩みはじめる。
1915年、木村荘八、椿貞雄らとともにのちの草土社を結成。満洲旅行から帰国直後に体調を壊して、山口県の徳山において客死。享年38歳。
1914年に生まれた愛娘・麗子を描いた『麗子像』は麗子が5歳から16歳までの間に描かれ、油彩、水彩、素描を含め100点以上といわれる。
(*データは2019年11月現在のもの。以下も敬称略とさせて頂きます*)
◆・・・◆・・・◆?
岸田劉生。
その名前と、かの「麗子像」をうっすらと思い浮かべられる程度の認識しかなかった。
なので、今回の展示が「基本的に製作年代順に展示する」というコンセプトと知り是非とも観に行きたいと思った。一人の表現者を作品の<流れ>で追うということは、その人生や作風や生きた時代も感じることが出来る有効で愉しいアプローチ法だと思っているので。
で。大正から昭和初期の日本の文化や風景や人々の雰囲気を知ることはとても興味深く、岸田劉生の作品をナマで観てその画業を知ることはとても面白く…個人的な気づきを得ることも出来て有意義な思考探検となった。
◆・・・◆・・・◆?
劉生の色彩感覚は渋みのある上品さがとても素敵なのだけれど、その<色>の塗り方や置き方で緩急を生み出しているところがともかく凄くて、見ていてとても面白かった。
思いきり塗り重ねられた質感や薄く丁寧になめされた艶感、光をそのままそぎ取ってきたかのような鋭利さ、などは実際に近くで見ないと印刷物からでは全く推測さえ出来なかった。
油絵の面白さや醍醐味を再認識したと共に、絵画というものに特別な興味を持つ人でなければ昨今は油絵を見るという機会(経験)が少なくなってきているのかもしれないとふと思った。
重要文化財にもされ有名な『道路と土手と塀(切通之写生)』(1915年)。今までは構図の面白さに目がいっていたけれど、実際に見てみると、塀の部分に不自然なまでに意志的にこっくりと塗り重ねられた白い絵具の質感と平らになめされた奥行のある青い空とのコントラストが強烈に魅力的だった。
麗子像も薄暗い背景と特徴的な髪形や顔立ちに目がいき、神秘的で近寄りがたい空気感を感じていたのだが実際に見るとそれだけではなく、幼い女の子の柔らかさやみずみずしさ、少女となっての楚々とした凛々しさなど、が愛をもって描かれていた。
◆・・・◆・・・◆?
作品としては1913年から1918年頃の作品群が印象に残った。
その頃に描かれた作品はどれも見応えがあり作品の世界観に圧倒的なオリジナリティがあった。もう、溢れんばかりに。
見ていて面白いなぁと思ったし、何よりもきっと作者自身が絵を描くことを面白いと思って描いていたのではないだろうか。
その後の画法の変成は面白味はあるかもしれないけれど…、正直なところ私には作風が変わっていったというよりも絵を描くことに対してだんだんと情熱が醒めていっている過程のように感じてしまった。
骨董収集にのめり込み、置き屋遊びを覚え、、、というところから察するに実際そうだったのかもしれない。
けれど、その人間臭いぐずぐず感はある意味やはりとても強烈に情熱的で、満州であわよくば肖像画を描いて収入を得ようとするが叶わず帰国後すぐには家に帰らずに遊ぶその旅先で客死…という最期も自身の作品と同じぐらいに濃厚で独特に思えた。
◆・・・◆・・・◆?
今回の展示から思考をめぐらせたのは「見る」ということと「絵」について。
劉生の<見る>力 ちから はしぶとくて濃い。彼は<それ>を、食い入るように見つめて見つめて見つめ抜いて丁寧に細密に描く。対象を自分に寄せることはせず、自分が動いていくこともせず、両者はそこにそのままで、見つめて見つめて絵に落とす。
劉生独特の人物像のいびつなバランスや風景や静物画の不可解で絶妙な構図は、子供や素人が思いのままに好きなものを描いた末のアンバランスやデフォルメなどではなく、画力のある画家が心ひかれて見つめ抜いた先の、クローズアップとしての光景、なのだ。
展示を見ている最中に、岸田劉生って写真を撮っても良い作品を生んだだろうなぁ…なんて思ったりしたのだけれど、見終わっての結論は、岸田劉生には絵こそがあっていた、ということ。
彼の気性の強さ(激しさ、ではなく)は、カメラやレンズやフィルムや現像という他者にゆだね予測や想定外を愉しむ写真よりも、自身の手で自身の手元に落としていくという絵のドライヴ感に充実や安心や興奮を覚えたのではないだろうか。
魅力的な作品が沢山あったなか、私にとって一番印象に残ったのは妻を描いた小さな素描。黒いチョークでさらっと描かれたその絵は木彫の素敵な額に入っていて、見ると言うよりも眺めていたくなるような一枚だった。
穏やかな、柔らかな、女性の、顔。それを、そう見て、そう描きたかったのだろうな、と思った。
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チョコレートコスモスとトキワガマズミ。
大浦裕記さんの小さな皿に浮かべて。
生きものは、というかおそらくこの世界全体は、育ちゆく姿も愛おしいけれど枯れゆく姿もまた愛おしく。
なんてことをまだ暖まらない早い朝の部屋にて思いました。
おはよう。
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古い壁。
古くて壁というだけでつい「すごいね」と言ってしまうのだけれど、それは素直な気持ちからの言葉です。
こんな大きなものをよく作ったなぁ、よく残っているなぁ。。。
かつてこの建物を作った人、利用していた人… いま現代の景色を見たらどう思うだろう。
見たら悲ませてしまようなところもあるけれど、案内したいところも沢山ありますよ。
メスキータ展 / 東京ステーションギャラリー(Tabula Rasa 2019.08.24)
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切り詰めて小さくなった菊をアンティークの小さなジャグに。
キュノワールのこっくりとした質感が秋の野花に良く似合う気がした。
このところどうも調子が上がらず、集中力にかけているのか失敗ばかり。
大事にはいたっていないことがせめてもの救いなのだけれど、
修正を試みても、なんというか、上がれない。
重い海の底を漂っているような、深い山で藪を漕いでいるような、止まってはいないのにずっとそこからぬけられない感じ。
なんだろうなあ。。。
きっと何かに気づけていないのだろうなあ。。。
投げ入れのワークショップに行く。
写真の菊はその時に持ち帰ったもの。↑
初回に感じたあの無邪気な楽しさはもうなく、二回め以降は気づきや反省から気持ちはつい落ち込むばかり。
欲が深いからいけないのよね、と改めて自覚。
花の選び方、花器との相性、どう活けるか、どう留めるか… 見つめる先にあるものは花や器なのだけれど、分け入っていく奥にいるのは自分だ。
私は、なにを、どう、したいのか。
あんなに美しい姿で、命をかけて問うてきてくれる花や葉や枝たちに
私も拙いなりに命をさらして応えていきたいと心から決めました。
ああやっぱり楽しい と思ってしまう。
よき秋をお過ごしください。
そして、大変な方々の生活に落ち着きが早くもどりますように。
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『クリスチャン・ボルタンスキー : Lifetime 』
at.国立新美術館 (2019.06.21-2019.09.02)
上から
Les Esprits : スピリット(2013)
La Couloir des Fantomes : 幽霊の廊下(2019)
Prendre la parole : 発言する(2005)
以下の写真も全て撮影可能エリアにて。全て作品の部分となる。
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クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski、1944ー、フランス・パリ生まれ )
ナチス占領下のパリに生まれる。改宗ユダヤ人(コンベルソ)であった父親は、フランス人であった妻と偽装の離婚をし、家を出て行ったこととして家の床下に隠れ住んで生きのびる。
終戦となり、家族や家を訪ね来る人々から聞かされた戦争の話・強制収容所の話が後に彼の創作に大きな影響を与えることとなる。
(*データは2019年8月現在のもの。以下も敬称略とさせて頂きます*)
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Les Esprits : スピリット(2013)
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クリスチャン・ボルタンスキー。
今年は内容の深い展示を見に行けている感触があるのだが、特にボルタンスキーのこの展示は私にとってきっと特別なものになるだろう。
現代に生きていて現代のものを知らないなんて勿体ない…というごくシンプルな思いからいわゆる「現代アート」と呼ばれる作品を積極的に見るようなったのはもうかなり昔のこと。
正直なところ未だ余りよく判らず、気持ちが素通りしてしまうことも実はあるのだけれど、ボルタンスキーの作品を初めてみた時のショックは今でも忘れられない。わしづかみにされたかのような衝撃で、「創り出す」ってこういうことをいうのだ…と思い知った。
それ以来、作品の展示を知ればなるべく見に行くようにしていたのだけど、今回のようなまとまった展示は初めて。しかも作品を撮影することが出来るだなんて…。
「現代」と「アート」の力を堪能した。
芸術、ってこういうことなのかと、圧倒された。(そしていつもながらボルタンスキーを見ると疲れる…。)
Monuments blanc + After : 白いモニュメント、来世(2019)
◆・・・◆・・・◆?
作品の傍らにクレジットは一切なく、観賞者には広げるとA3版ほどになる、新聞のような形態の作品解説が入口にて配布される。ペエジにすると8枚組で各作品の写真とタイトルと少しの解説のある解りやすいもの。それを見て進むもよし、見ないで進むもよし、作品を深く楽しんでください、ということなのだろう。
私は、最初は解説を参照しながら見て行こうとしていたのだけれど、作品や空間に心奪われて解説を持っていることをいつの間にか忘れてしまった感じ。
作品解説を広げながら作品を探したり見つめたりしている鑑賞者たちはまるで地図やガイドを広げて歩く旅行者のようだった。ボルタンスキーの創り出した空間世界を旅する人々。
作品からの音も効果的で、咳の音、心臓の音、風鈴の音、ささやき声…それぞれの作品から離れたところでも、うっすらとまざって聞こえてくる音たち。不気味でもあり神秘的でもあり、濃厚な異空間に包まれる。
展示空間全体が作品となり、そこに居る鑑賞者の全ても作品の一部となっていた。もちろん、私も。
Animitas blanc : アニミタス(白) (2017)
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あの世の門番、であるというフィギュアが数体あり(Prendre la parole : 発言する)、それぞれに内蔵されているサウンドボックスからランダムに言葉が流れフロア中にその声が重なってただよう。
男声と女声の、怖いような優しいような、英語と日本語と、不思議な声。。。
聞かせて。 祈ったの? / Tell me. Did you pray?
聞かせて。 飛んでいったの? / Tell me. Did you fly away?
・・・・・
その言葉を聞きとろうとフィギュアに身体を寄せるとそっとランプの灯りに照らされる。
コートの胸元に耳をそばだてる。
まるで誰かに寄り添い誰かに包まれているかのようだった。
ボルタンスキーの作品世界は暗く重く、死の闇がどこまでも深い。そして、だからこそ、穏やかで懐かしく、生の光がただただ美しい。
クエイ兄弟 -ファントム・ミュージアム- The Quay Brothers PHANTOEM MUSAEUMS (Tabula Rasa 2016.09.03)
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『メスキータ展』
at.東京ステーションギャラリー(2019.06.29-08.18)
東京駅の階段の壁面。木版的なコラボレーションが素敵だったのでパシャリ↑
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サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ・・・(Samuel Jessurum de Mesquita、1868−1944、オランダ生まれ、ポルトガル系ユダヤ人)
画家、版画家、デザイナー、更には美術学校の教師として多くの学生を指導。教え子の一人にはM.C.エッシャー(Mauritis Cornelis Escher (1898–1972) )がいる。
1944年1月31日から2月1日の深夜、ドイツ軍兵士がメスキータ家に押入り彼と妻エリーザベト、一人息子ヤープを逮捕連行。メスキータ夫妻は2月11日にアウシュヴィッツ強制収容所に送致され、その数日後にガス室にて殺害されたとされている。息子ヤープは3月20日にテレージエンシュタット強制収容所にて死亡。
一家が連行された後、アトリエに残された版画やドローイングなど多数あった作品群は盗みだされたものもあったらしいが、メスキータ一家の逮捕を知ったエッシャーや友人達などが早急に一部を持ち帰り秘密裏に保管。戦後には彼等の尽力によりアムステルダムの私立博物館にて回顧展が開催される。
(*2019年8月現在のデータ。以下も敬称略とさせて頂きます*)
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メスキータについては作者についても作品についても全く知らなかった。なので行く前からどきどきわくわく。
木版、エッチング、リトグラフ、ドローイング(ペン、鉛筆、パステル、チョーク、水彩)などによる作品群。点数も多数で、内容密度の濃い素敵な展示だった。
ポスターやフライヤーなどで紹介されていた幾つかの作品はモノクロでエッジの効いたタッチや構図のものが多かったので、尖ってちょっと不思議でスタイリッシュな感じの作品群なのだろうか、というイメージを何となく持った(「エッシャー」という名前にも誘われて)。
で、足を運んでみて… その予想は外れてはいなかったけれどそれだけではなかった。洗練されたデザインを生み出す才気だけでなく、作品を実際に直にみてみると更にゆったりとした大らかな遊び心が伝わってきた。
<創作>についてどのような考えを持っていた人だったのだろう。メスキータは創作という強い自己探求作業をしながらもいかに自己を手放すかということにも深く興味があったのではないだろうか。
版画という表現形態や無意識で描いたというドローイングから、見えているものを現すことによって見えないものを呼びおこそうとしているように感じた。
メスキータという作家や彼の作品への今度の研究やさらなる展示が心待ちとなった。
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東京ステーションギャラリーという、古い建物(壁面)を活かした展示スペースであったことも良かった。作品と空間が自然な具合でコラボレーションしている様で面白かった。
展示の仕方(演出)も作品に合っていた。額縁は装飾の少ないシンプルなものがあてがわれ作品のデザイン性を引きてていたし、額装のマット部分にグレー地が差し込まれているものがあったり、後半のドローイング作品群の額が高低をつけ寄せて隙間なく並べられていたり…作品の精度が細かく強いので、それを邪魔しない緩みのあるシンプルな演出で心地よかった。
撮影可能コーナーが展示が終わっての別エリアだったこともありがたかったな。作品鑑賞の邪魔にならないというのがやはり一番大切、というか本来それが当然で自然なのだから。。。
美術品の展示において、その場での<演出>よりもその場との<共鳴>こそが大事なのではないだろうか。
その場の持っている雰囲気や時には歴史的背景が活かされていると、そこに展示されるものも活きてくる。そこが普通のギャラリーであっても、立派な美術館であっても。国や文化や時を越えても、きっと。
なんてことを最近よく感じる。
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家族や動物や植物を主なモチーフとして描いたメスキータ。日常のなかに神秘や奇跡を見出し悦びを感じていたであろう彼はその人生の最期に何を思ったのだろう。
遥か昔に、確かに在った 命。モノ。思い。それ等の幻影と残欠を継いで生きゆくことの意味を考えさせられる。
遥か昔の全てのもの達へ、今ここに在る光がどうか届きますように。
チャペック兄弟と子どもの世界 / 松濤美術館 (Tabula Rasa 2018.06.08)
コロッケ できました / 彦坂有紀:もりといずみ (Tabula Rasa 2016.10.13)
壁を抜ける 空を飛ぶ / 藤牧義夫 (Tabula Rasa 2012.04.14)
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インドネシア マンデリン・スマトラタイガー。
飲み終わったあとの華やかで凛々しい余韻が不思議で素敵だな。
久しぶりにネルで淹れたら美味しいやら愉しいやら。
さらっと軽めに淹れて、ローストナッツの蜂蜜がけをお供に。
絵本をめくりながら、鳥のさえずりを聞きながら、全てを忘れて、ちょっとひと息。
(『みずのこどもたち』阿部海太 2017年 / 佼成出版社)
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淡く広がる雲なぞを見上げつつ。
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絵・文・・・今森洋輔(いまもり ようすけ Yosuke Imamori)
画家・イラストレーター。1987年より書籍・雑誌の表紙画、挿画などを手がける。
絵本の作品に『すきすきどうぶつ』(文/ 今森光彦、童心社、2006年)『むしむしだあれ』(文/ 今森光彦、童心社、2006年)『琵琶湖の水鳥』(偕成社、2008年)など。
(*データは2019年6月現在のもの。以下も敬称略とさせて頂きます*)
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お気に入りの絵本を色のイメージで考えてみたりするのも好きな遊びのひとつ。「白の絵本」「青の絵本」「赤の絵本」…。で。私にとって「緑の絵本」といえばこの絵本。
作品の設定はおそらく春のはじまり、四月頃なのではないかと思うのだけれど、私は木々の緑が青々と風に揺れ、水がぬるみ雨が降りはじめて、海や川や池の水面がゆっくりと青緑色の<森>になりはじめる五月頃からこの絵本が読みたくなる。
気がつけばいつの間にかいつもの景色が緑色になっていたのだなあ…と思うこの時節にぴったりな一冊。
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初版は2010年。新装版が2018年に出版された。
変更されたところはどこかというと、まずは表紙。
旧・新ともに作中の絵の一部を表紙としているのだが、新装版の方が色味も明るく絵柄も人目をひくものとなった。
それから文字に関わる変更。タイトル、サブタイトル、作者名のフォントや配置、大きさや色が変えられている。
表紙をめくってのタイトルペエジは、同じように文字に関する変更。
背表紙では、描かれているプランクトンの種類がマイナーチェンジされていて2バージョンを並べるとちょっと可愛い感じ。
作中の文字に変更はなく、文章の内容にも変更はない。
絵に関しては、新装版は色味が全体的にやや明るくなった。
「絵本」も「モノ」として考えるならば、より人々に使われ続ける(読み継がれる)ためにこうしたひっそりとした微調整やブラッシュアップも時に有効ではないかと思う。もちろん、絵本は「創作されたモノ」であるので、オリジナルの良さが何で作者の思いがどこにあるか、を理解しそれをしっかり守ってこその<手入れ>であるべきだろう。
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この絵本は<ちしきのぽけっと>というシリーズのうちの一冊で、敢えてジャンル分けをすればいわゆる「科学絵本」になるかと思われる。
私個人の印象なのかもしれないのだけれど、例えば「科学絵本」というような、社会・歴史・地理・自然…など<知識>を伝えることをテーマとする絵本はどうしても<古くなりやすい>と思う。
<古さ>が表現として劣っているとか良くないとか貧しいと考えている訳では全くない。古いものの味わい深さや愛おしさ、古さにこそ宿る新しさなど、古きの魅力を挙げればきりはないだろう。
けれどおそらく。私たちは<知識>に<新しさ>を求めているのではないかと思う。
それがどんなに使い古された発見でも、どんなに言い尽くされた定説であっても、自分にとってそれが新しいものであれば人はそれに感動や興奮を感じるのだ。
そしてきっと、知ってしまえばそれは新しくなくなり、新しくなくなればそれは古くなる。だから、<科学>という<知識>だけを伝えようとする<科学絵本>ならばそれはきっとだんだんとただ古くなっていってしまうのだと思う。
事実の説明や推理の検証という<知識>にとどまらず、その奥にありその先へと繋がりゆこうとする不変かつ流動的な<何か>を伝えられてこそ、その作品は新しくあり続け、読み継がれていくのではないだろうか。
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この作品は出版されてから8年が経っているのだけれど、今も古く感じられずみずみずしい。
身近にありながらも異空間にある生命達の神秘と奇跡。その様子を丁寧に優しく語る文章と端正に美しく表す絵。
そして更に、本としてデザインがトータルで美しく練られている。
文字のフォントは真面目な感じだけれど丸みもあって、穏やかで柔らかな安定感がある。
そしてプランクトンの説明ペエジの配色がとてもいい感じで、背景が薄い緑色で文字の色が少し明るめのビリジアン。
この絵本の美しさの鍵はこのプランクトンのペエジの配色が握っているのかもしれないと思っている。
もしもこれがスタンダードに背景が白で文字が黒であったならば…いかにも解説っぽく、お勉強っぽくなってしまって、読み手はそこに示された<知識>に感心はしても、更にその先に拡がる<未知>に無心にはなれないのではないだろうか。
本という世界全体が確かに美しくデザインされていることにより、読み手は知らずと、この世界の、その美しさを、無心に受け取ることが出来るのだ。
世界はこんなにも不思議なのだな…わからないことがまだこんなにもあってくれるのだな。。。
私は<知りたい>のではなく <解りたい>のだと気づかされる。
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何かを知る快感。そして更にそこから生まれる、何かを解りたいという衝動。解り得ることなど出来ないと知りながら、だからこそ解りたくて、人は悠久の彼方からずっと歩んできたのかもしれない。
なんてことを思いながらのんびりと絵本をめくる私を遠い宇宙から覗いてみても、きっとプランクトンのように小さすぎて見えないのだろうな。
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こんばんは おはよう こんにちは。
五月も半ばとなりましたね。
天候不順なこの頃ですがいかがお過ごしですか。
この五月で、このブログをはじめてから九年が経ったそうです。
ピンとこないけれど九年ってやっぱり凄いなあ。。。
改めて、こんな私を日々支えてくれている家族や友人に感謝するとともに、
この場で出逢い繋がることの出来た方々へ心からの感謝を送ります。
本当にありがとう。
それにしても九年前の私はなぜブログスタートを五月にしたのだろう。
おそらく特別な理由はなかったのだろうけれど、もしあったとするならばそれはきっと、五月が好きだから、だ。
五月。
いつの間にか蒼々としげる緑。
命たちはゆっくりと息を吹き返し、再び生まれる。
身体は開かれ心は澄んでゆく。
おやすみなさい。お元気で。
悲しめるもののために
みどりかがやく
苦しみ生きむとするもののために
ああ みどりは輝く
( 五月 / 室生犀星 )
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