見るモノ<展示・建物>:Exhibition& Architecture | Tabula Rasa
2019.03.07 Thursday

ブラティスラヴァ世界絵本原画展 / 千葉市美術館

 

 

『ブラティスラヴァ世界絵本原画展 BIBで出会う絵本のいま』

(2019.01.21−2019.03.03、千葉市美術館)

 

スロヴァキア共和国の首都ブラティスラヴァ(Bratislava)にて2年ごと(奇数年)に開催される世界最大の絵本原画コンクール(BIB : Biennial of Illustrations Bratislava)。

2017年秋のコンクールには世界各国の国内審査を経て49か国373組(2657点)の原画がエントリーされた。

 

 

 

 

 

 

千葉市中央市役所・さや堂ホール

 

千葉市中央市役所の7階と8階が千葉市美術館(Chiba City Museum of Art)となる。平成7年(1995年)に開館。

ネオ・ルネサンス様式のこのホールは建物1階部分↑。

千葉空襲のあと焼け残った旧川崎銀行千葉支店(1927年、矢部又吉設計)を新しいビルで覆い、旧銀行の部分保存・修復がされている。

保存が大変だろうけれど、こういう歴史を伝える建物が永く残っていってくれたらと願う。

 

(*データは2019年3月現在のもの*)

 

 

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ブラティスラヴァ絵本原画展に行ってきました。

いつもながら行ったのは会期終了間際。そしていつもながらのんびりとタイムラグポスト。

絵本の原画だけでなく関連資料や映像などなかなかの量の展示数でかなり時間をかけて観たと思う。

 

 

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今回様々な原画とその絵本を見比べて感じたのは、トリミングの効果、だった。

原画にある構図(配置)こそが絵としては美しいのだけれど、本のなかの絵とすると、必要以上の空間(余白)はカットされ、読み手に解りやすいようにモチーフが少し拡大されていたりと、「絵」としては崩される微調整が「絵本の絵」としての美しさをつくりだしていた。

「絵本」は絵をメインにした書籍なのではなく、「本」であることに対して絵も文章も同じように自分の身を捧げているのだなー…と改めて思った。

 

そして改めて考えてしまったのは「原画」って何なのだろうということ。

作品のクレジットを見ると「デジタルプリント」という表記が思いのほか多かった。つまりコンピューター(デジタル)での作業が成されているということなのだけれど、となると昨今の「原画」とはいわゆる直筆もしくは肉筆ではなくて、完成画としてのデザイン、ということになってきているのだろうか。

どこまでを人の手による所為とするかになるのだろうけれど、「原画」は人が生み出した世界にたったひとつの特別なもの、であって欲しい。

 

映像資料で面白く感じたのは「東洋の作品は雰囲気を大事にする。西洋の作品はもっと説明的になる。」というようなことが言われていたところ。自分の持ち続けている興味と重なって印象に残った。

 

こういう大きな企画展はそこにある物や事柄を大まかに大きくつかむ機会になるから良いなと思っている。今回も思考が広がり楽しかった。

 

 

 

 

展示の余韻と友人との語らいとランチビールの美味しさを反芻しながらのテーブル集合写真。

左からメンバーご紹介。。。

 

*展示カタログ with.チケット半券

*ミュージアムショップで買ったクリアファイル

*展示されていた絵本で手元にあったもの3冊

*ほうじ茶いりの湯呑 with.ひなあられ

 

 

        
2019.01.03 Thursday

目白コレクション: Mejiro Collection / 目白 椿ホール

 

 

 

 

2018年:11月3日・4日 (於:目白 椿ホール)

 

 古いものを扱うお店(骨董屋といえばいいのかな、アンティークショップというのがいいのかな。。)が集まっての展示販売。

 

 

 

昨年の思い出。

お知らせ葉書と当日頂いたショップカード、<本田> さんで求めた小さなキュノワールのピッチャー をパシャリ↑

 

行ってみたいと思っていてやっと行けた秋の催し。

行くことが出来て本当によかった。

友人と二人、かなり長い時間をかけ、ゆるりゆるりと会場を何周しただろう。飽きなかったなぁ。

勝本みつるさんの作品の実物を初めて見ることができたし、まさかで藤牧義夫の版画にも出会えたし…いま思い出しても不思議な深い1日だった。

2日目だったので来場者は少なめで、おかげでのんびりゆっくり見られお店の方々のお話もたくさん伺えて、すこぶる愉しくてともかく勉強になった。

 

この催しで得たことごとにより<モノ>に対する考えがクリアになった。きっと今年からモノとの付き合い方が変わると思う。

語らぬもの。古きもの。

<モノ>だからこそ有することのできるその重厚な宇宙を知りたい。

 

 

 

壁を抜ける 空を飛ぶ / 藤牧義夫(Tabula Rasa 2012.04.14)

ことり / 小川洋子 (Tabula Rasa 2013.06.04)

 

 

        
2018.08.07 Tuesday

石井桃子展 / 県立神奈川近代文学館

 

 

 

 

『没後10年 石井桃子展 ー本を読むよろこびー』

(2018.07.21〜09.24 at.県立神奈川近代文学館)

 

石井桃子(Momoko Ishii いしいももこ、1907−2008、埼玉県生まれ)

編集者、翻訳家、作家。児童文学の研究や家庭文庫(かつら文庫、1958年)の開設もおこなう。

翻訳した作品に『クマのプーさん』シリーズ(Alan Alexander Milne)、『ちいさなうさこちゃん』シリーズ(Dick Bruna)、『ピーターラビット』シリーズ( Helen Beatrix Potter )、『ちいさいおうち』(Virginia Lee Burton)など多数。

自身の創作として『ノンちゃん雲に乗る』(1951年)『幻の朱い実』(1994年)など。

 

 

(*データは2018年8月現在のもの。敬称略とさせて頂きました*)

 

 

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熱いさなかではありましたが「石井桃子展」へ。本当に暑かったなぁ。。。

 

やや薄暗く硬い雰囲気が「文学館」らしくて懐かく心地よかった。

直筆の書簡や原稿やノート、幼少期や青春時代の写真(スキーウェアが可愛かった)、手掛けた本の挿絵の原画や出版に関わった書籍の原物など、展示品も充実していて当時の様子がイメージしやすく楽しめた。

(メールが通常になっている現代、直筆の手紙の展示って減っていってしまうのかな。手紙って一番素敵な証なのに、寂しいな。)

 

 

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プーさんやうさこちゃん(ミッフィーちゃん)、ピーターラビット。。。

どれも周知の有名で素敵な名作ばかりで、素晴らしい仕事をなさった方なのだと改めて深く感じ入った。

のだけれど。実は、私は自分の子供時代に石井桃子さんの手掛けた作品を殆ど全く読んでいないみたい。恥ずかしながら。

昨夏のバートン展を見た時にも思ったのだけれど、バートン作品も私は子供の頃に殆ど読んでいなかった。少なくともその記憶が全くない。「からすのパンやさん」や「スノウマン」や植物や昆虫の図鑑をゆっくりと眺め何度も繰り返し読んだ記憶はあるのに。

 

これはもう本との縁というか好みによるものなのだろうなぁ。そしてその好みというものも変わってゆくものなのだろうなぁ。。。

だから、大人は子ども自身で<自分の本>が選んでゆけるように、そっと手を貸すぐらいでいれば良いのかもしれない。「本を読むよろこび」というのは子どもの頃からそれぞれに違う、その人だけのよろこび、だろうから。

 

 

 

 

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今回の展示の見どころはおそらく、石井桃子さんの仕事を振り返る、ということだけでなく、その仕事を通して一人の女性の人生を振り返る、というところにもあるのだろう。

仕事での交流やプライベートな友人との関係についての記述や資料もあり、戦前から戦後を生き抜いた人々のその生き様はとても深く逞しく…、背負うものも目指すものも、その重さと清さが今のこの現代とは全く比べものにならないように感じた。

 

 

 

 

展示の余韻を楽しみながらのテーブル集合写真。メンバーご紹介。。。

 

*手持ちのお気に入り絵本『ゆかいな かえる』(福音館、1964年 /『frogs merry』、Juliet Kepes、1961年)

*チケット半券

 

オキザリスの季節ではなかったので、今が美しい盛りの百日紅を添えてパシャリ。

 

 

 just like a child / go to 東京こども図書館 (Tabula Rasa 2013.09.17)

 

 

        
2018.07.23 Monday

クロヌマタカトシ展 / うつわ祥見 KAMAKURA

 

 

 

クロヌマタカトシ個展 (Takatoshi Kuronuma Solo Exhibition)
at. うつわ祥見 KAMAKURA (2018.7/21 - 7/30)

 

クロヌマタカトシ  (くろぬまたかとし Takatoshi Kuronuma)

木彫作家。

建築の仕事を経て、2010年より木彫制作を開始。

展示会をメインに活動。書籍の表紙に木彫作品の写真映像が用いられての作品もある。

 

(*データは2018年7月現在のもの。敬称略とさせて頂きました*)

 

 

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初日の在廊日に伺うことが出来ました。

展示空間は、白い壁面と天井に濃い色の什器とファブリック。

モチーフは人物、動物、植物、昆虫、建物。(天体)

素材は流木とクスノキ。

彩色は薄く淡く。

 

作品の全体(全身)を色々な角度からゆったりと見ることができる、広々とした空間での展示だった。

ちょうど混んでいない時間帯だったようで、木肌の質感や色合いのグラデーション、表情のニュアンスなど、細部に渡ってのんびりと味わうことが出来て良かった。

立体の奥深さや面白さはやはり実物を間近で感じてこそ楽しめるものなのかもしれない。立体の作品には<存在>という<今>をダイレクトに揺さぶってくる独特なエネルギーがあるように思う。

 

 

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クスノキは香りが良いんですよ

 

と、差し出して頂いた作品から微かにスッと立ち上がって来た蒼い香りに感覚が震えた。

その香りにいざなわれて、木彫の作品展であった光景が、ふわっと、木であったもの達が集う森に変わった。

 

そしてふと、展示スペースという整えられた美しい場所ではなく、例えば、荒れ果てた廃墟や枯れすさんだ荒野や誰もいない惑星にこの作品群がごく自然に、ただそのままにそこに在った時、果たして私はその美しさを見つけることが出来るのだろうか…という思いが何故か湧き上がってきた。

何故だろうな、自分でもよくわからないのだけれど、帰路もずっとそのイメージが頭から離れなかった。木彫の作品の持つ、生きている かのような雰囲気からだろうか。

想像してみたらなんだかとても素敵な風景だった。

 

 

この日は素敵な人にたくさん出会えた、とても豊かでちょと不思議な1日だった。

お話をして下さった方々、語りかけてきてくれた作品たち、ありがとうございました。

そして、友よ。いつもありがとう。

 

 

クロヌマタカトシ個展「気配」/ ギャラリー上がり屋敷 (Tabula Rasa.2018.07.10)

DESIGN:27 / Wooden Plate(acacia)  (Tabula Rasa 2015.09.20)

 

        
2018.07.10 Tuesday

クロヌマタカトシ個展 「気配」 / ギャラリー上がり屋敷

 

 

 

クロヌマタカトシ個展 「気配」(Takatoshi Kuronuma Solo Exhibition「Kehai」)
at. ギャラリー上がり屋敷(2018. 6/30 - 7/8)

 

クロヌマタカトシ  (くろぬまたかとし Takatoshi Kuronuma)

木彫作家。

建築の仕事を経て、2010年より木彫制作を開始。

展示会をメインに活動。書籍の表紙に木彫作品の写真映像が用いられての作品もある。

 

(*データは2018年7月現在のもの。敬称略とさせて頂きました*)

 

 

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クロヌマタカトシさんの個展へ。最終日に滑り込み。

木の美しさや立体の存在感を愉しんだ。素敵だったなぁ。

誰もが寝静まった夜中にそっと動き出していそう、なんて思った。

 

人物の全身と胸像、動物、植物・・・だったかな。

木の肌や裂け目を活かした動物。柔らかく木目が透ける女性の頬。凹凸を帯びた老いた人の横顔。風をはらむような質感の女性の後ろ姿。細く揺れる植物。

どれも人の手によって生み出された、木の、新たな姿。

かつて生きていた存在 ー 例えば木や革のような ー からつくられたものはどこか神秘的で不思議な力強さがあると思う。

 

つかみどころなく、見えることなく、けれど何かが そこに在るような、やがて来るような、そんな 気配。

今回の展示タイトル「気配」という言葉の意味やその音を、作品たちが密やかにまとっているようだった。

 

 

 

 

 

展示の余韻に浸りながら帰りに目白庭園へ寄り道。

池でカルガモの子供たちがスイスイと得意気に水を切る姿が可愛かったなぁ。

蚊がたくさんいたのにはまいったけれど。

 

入口には七夕の名残りで短冊のかかった笹がおかれていた。

多くの場所や人々のやすらぎがどうか叶いますように。

 

 

クロヌマタカトシ展 / うつわ祥見 KAMAKURA (Tabula Rasa 2018.07.23)

 

 

        
2018.06.28 Thursday

甘い記憶

 

 

 

 

さて。ここはどこでしょう。

 

そのアール・デコな建物はとうの昔に誰かが住まうことはなくなり、長く文化的な資料として在るにも関わらず、人が大好きで、人の暖かな気配を求めているような建物でした。

きっと、関わった人々に大切に扱ってもらって、幸せな時をたくさん知っているのだと思います。

なんて、生き物ではないのにね。

でも不思議と、というか自然とそんな気がしました。

 

 

またまたタイムラグになってしまったなー。。。

まとめて近々ポストしたいです。

 

お庭散策も心地よかったな。

 

 

六月の池 (Tabula Rasa 2018.06.02)

 

 

        
2018.06.04 Monday

チャペック兄弟と子どもの世界 / 松濤美術館

 

 

 

 

『チャペック兄弟と子どもの世界 〜20世紀はじめ、チェコのマルチアーティスト〜』

(2018.04.07〜05.27 松濤美術館、2018.07.01〜09.09…芦屋市立博物館)

 

 

ヨゼフ・チャペック(Josef Čapek、1887−1945、ボヘミア・フロノス生まれ)

キュビズムの画家としての活躍にはじまり、カレルの著書など主に子供向けの書籍の装丁や挿画を多く手掛ける。舞台劇や短篇、批評文や子供向けのお話の執筆もした。

作品に『こいぬとこねこは愉快な仲間』(『Povídání o pejskovi a kočičce』1929年)など。

1939年にナチスにより政治犯として逮捕されドイツのダッハウ強制収容所へ送られる。その後3か所に移送をされ、1945年収容所内で死去したとされている。

 

 

カレル・チャペック(Karel Čapek、1890ー1938、ボヘミア・フロノス生まれ)

 

ジャーナリストとして活動をしながら新聞記事を書く他に文筆家として、戯曲、旅行記、批評、子供向けのお話など多岐に渡って執筆。1920年に発表した戯曲『R.U.R.』(1920年)から「ロボット」という言葉が生まれた。(ロボットという言葉の発案はヨゼフによるものらしい。)

挿画と写真を手掛けた『ダーシェンカ』(『Dášeňka čili život štěněte』1933年)は写真絵本の先駆けとされている。1939年にナチス・ドイツがプラハを占拠、ゲシュタポがチャペック邸を襲撃する4か月前に肺炎で死去。

 

 

 

 

 

 

 

松濤美術館(しょうとうびじゅつかん、The Shoto Museum of Art)

1981年に開館。2013年に約1年間の改修、2014年1月から再開。

設計は白井晟一(しらい せいいち Seiichi Shirai、1905−1983)。

 

(*データは2018年6月現在のもの。以下も敬称略とさせて頂きます。)

 

 

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先月、またまた会期終了ぎりぎりに行ってきました・・・。タイムラグポストです。

 

まず。展示内容も良かったのだけれど美術館の雰囲気もまた何とも素敵で、寛ぎながらも集中して時を過ごせた。時が空間に堆積されていて、誰かの家のようなぬくもりと公共の場の緊張感があって、今回の展示にしっくりと合う<場>だと感じた。

 

遅い夕方の頃に館内建築ツアーがあるらしいのだけれど、あー、場所が近くて面倒くさがりでなかったらとても行きたい。。。

中庭部分をじっくり見てみたいし、細かい工夫も知りたいし、夜に近い時間にあの階段を上り降りしたり、ソファに座って絵を見たりするのはきっと心地良いだろうな。(エレベーターも有り)

 

 

 

 

内部の写真撮影は禁止されていたのだけれど撮影どうぞの箇所があったので、レトロな鏡ごしにパシャリ↑

 

ごく自然な薄暗さとそこに溶け込む清潔な光が心地良かった。

 

 

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以下、ざっくりとした印象。

 

チャペック兄弟の作品群については興味はあれど理解が整理されていない状態だったので、今回、時系列に並んだ多くのオリジナルと客観的に対することが出来て良かった。

 

今回の展示は弟のカレルよりも兄のヨゼフの作品(作家人生)に重点が置かれていたと思う。言い換えれば、彼らの言語的表現ではなく美術的表現を軸として巡る展示だった。

言葉という思想ではなく絵という試行により彼らの足取りを見つめることができ、今の私の興味とも重なりありがたかった。結果として、ぐるっと回って逆説的に言葉についても考えることも出来たから。

 

まだまだ理解の途中というか始まりなのだけれど、「チャペック兄弟」という枠に入った彼らではなく、1800年代の後半に生まれ第二次世界大戦へと向かっていくヨーロッパに生きたヨゼフ・チャペックとカレル・チャペックという人間、が表わした仕事にやっと向き合えた気がする。

 

 

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ヨゼフにとって<子供>という存在が、描く対象(モチーフ)、またはプリミティブなタッチの画法の手本、という<形>だけでなくなっていく過程が興味深かった。それはおそらく自分の娘が生まれたことによるらしいのだが、かといって私的な愛が溢れ始める訳でもなかった。

 

改めて<デザイン>というのは美しさを追求してのものではなく、原型にいかに忠実であるかが<デザイン>なのだろうな…と思った。美しさは目的ではなく、むしろ原型を探る旅のその後について来るただの結果、のうちの1つにすぎないのだろう。美しいから目をひくだけで。

そのくらい、ヨゼフの絵は子供たちや動物を描いた可愛くて暖かい作品ばかりなのに全てが冷静で客観的でクールだった。

 

カレルが撮ったダーシェンカの写真や彼の愛機が展示されていたのだが、カレルがカメラに凝ったのは3年間ぐらいだったと知り、ちょっと意外が気がした。お気に入りの趣味としていつもカメラを持ち歩いていた、ぐらいに勝手に思っていたのかもしれない。

でもそれはそれでむしろ面白く、やはりカレルという人は色々なことに才能と好奇心があり、かつそれを形にしたくなってそして形にしてしまう人だったのだろうなぁと感じた。

 

 

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展示のサブタイトルに「チェコのマルチアーティスト」とあるのだけれど、確かに彼らのような人を例えば<マルチ>というのかもしれないと思った。

マルチとはオールラウンドに色々なことをこなすことではなく、きっと、色々なことと自分が繋がって全てを拓けて見晴らしの良い1つへと導いてゆくこと、を言うのだろうなぁ。

 

「私にはどうしようもないことだけれども、この世で何がおこっているのかを問題にしないような文学、そして、そこでおこっていることに言葉や、思想でもって強く反応しようとは望まないような文学、私の場合はそのような文学ではない。」

 

カレルの言うこの言葉は、文学を絵に変えてみればヨゼフの言葉ともなるのではないかと思う。

 

展示をみた後にカレルやヨゼフの著作や彼等に関する本を数冊読んだのだけれど、今のこの世界をみたらチャペック兄弟はどう思うのだろう。

A.I についてなんて何と言うかな。溢れる美しい児童書や絵本に何を見るかな。。。

 

今年はカレルの没後80周年だったのだと暫く後で気づいた。

世界は変わった。のだろうか。 解らなくなる。

 

 

 

 

展示の余韻を楽しみながらのテーブル集合写真。左からメンバーご紹介。。。

 

*手持ちの古い岩波文庫『ロボット』

*ミュージアムショップで買ったクリアファイル

*展示カタログ

*チケット半券 with.庭のスカビオサ 

 

 

ヨゼフの愛娘アレンカちゃん。お花、喜んでくれるといいな。

 

 

 

 

マンザナーとチェコ:Manzannar & Czech Republic(Tabula Rasa 2011.08.20)

ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968/東京都写真美術館(Tabula Rasa 2011.11.09)

クエイ兄弟 ファントムミュージアム The Quay Brothers PHANTOEM MUSAEUMS (Tabula Rasa 2016.09.03)

ミュシャ展/国立新美術館 (Tabula Rasa 2017.06.01)

 

 

 

        
2018.04.26 Thursday

きくちちき個展 しろくろきいろ /えほんやるすばんばんするかいしゃ:高円寺

 

 

 かわいい看板。

 

 

『きくちちき個展しろくろきいろ』 

 at.えほんやるすばんばんするかいしゃ(2018.03.24 - 04.22)

 

『とらのことらこ』(小学館 / 2018)にともなった原画展。

絵本の原画ではなく『とらのことらこ』の世界描いた新たな原画。

手製本『とらこのおくりもの』の制作過程の原画も展示。

 

 

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少し前に展示の会期は終了。油断をしていたらまたまた安定で恒例のタイムラグ投稿・・・。

会期が延長される前の会期終了間近、しかも在廊日の夕方に行ったのでちょっと混んでいたかな。

なので静かにじっくりは見られなかったのだけれど、しみじみ満足。

 

行ってみたいと思いつつなかなか叶わず、今回やっと行けた えほんやるすばんばんするかいしゃ さん。

二階の空間や本や小物のラインナップも素敵にひねりが効いていてとても楽しかった。

はっぴぃえんどがゆるゆると流れていたのも何だかよい感じで、もしも十代の頃にこういうお店が近くにあったならば絶対に通いつめていただろうなぁ。。。

 

 

 

 

 

 

きくちさんの原画をいつか見てみたいと思っていたのでこの日は行きの電車の中からすでにわくわく。見に行って良かった。

 

実際に見たきくちさんの絵は何というか、豊か だった。

優しげで暖かくて楽しそう、という雰囲気は絵本を通して感じていた以上にそうだったのだけれど、原画からは更に 潤い、が伝わってきた。

それはきっと、水を豊かにふくませた筆、と 程よく空気をはらんだ紙、の質感を感じることが出来たからだと思う。

 

雨上がりの海や山が生命をとりもどすように、水を飲みほした生き物が生き生きとするように、存在(ボディ)の内側に水と空気が宿され流れている感じがしてとても豊かだなぁと感じた。幸せ、ではなくて、豊か。

そこがきっと、きくち作品のゆったりとしたみずみずしさの所以なのかな、と思った。

 

 

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原画展を見てきた後の、そこから更に時間の経った今に、のんびりと思うのだけれど、

例えば、同じ絵本でも原画をみる前とみた後では その世界は確かに変わる。

絵も言葉も変わらず同じでいてくれているのに、そこに描かれていない絵や言葉が見えて聞こえてくるのだ。

 

別にオリジナルに接しないと本当の良さは解らない、という考えを持っている訳では全くないのだけれど、ライヴやコンサート、原文や原画やオリジナルプリント、映画館のスクリーン…などで感じる<それ>は、作者や作品の<息吹>が感じられて対峙していると胸がキュッと締め付けられる時がある。その感触がとても好き。

 

そしてきっと、私は 怖いのだと思う。

良いとか好きだとか思っている人やモノの<本当>や<在るがまま>を解っていないのに、良いとか好きだとか言ったり思ったりしてしまうことが。

なので、<オリジナル>というリアルな存在(現象)に会って、自分の思い込みを振りほどき、対象の芯(真)をたぐって、混じり気のない気持ちで良いとか好きだとか、自分の声で<それ>に伝えたい、応えたい。

のだろうなぁ…たぶん。

 

 

お話をしてくださった方々、そして写真撮影の許可をありがとうございました。

予約した手製本が届くことが楽しみ。。。

 

 

こうまくん / きくちちき (Tabula Rasa 2017.04.08)

 

 

 

 

 

        
2018.03.06 Tuesday

THE SHAPE OF WATER / シェイプ・オブ・ウォーター

 

 

 

 

『 シェイプ・オブ・ウォーター』(2018年)

原題・・・『 THE SHAPE OF WATER 』(2017年 / アメリカ )
監督*原案・・・ギレルモ・デル・トロ(Guillermo Del Toro)

制作・・・・ギレルモ・デル・トロ J.マイルズ・デイル  (J.Miles Dale)
脚本・・・ギレルモ・デル・トロ&ヴァネッサ・テイラー(Vanessa Taylor)

編集・・・シドニー・ウォリンスキー(Sidney Wolinsky)
撮影・・・ダン・ローストセン (Dan Laustsen)
音楽・・・アレクサンドル・デスプラ(Alexandre Desplat)
美術・・・ポール・オースタベリー (Paul Austerberry)

 

イラスト(ポスター&パンフレット)・・・ジェイムス・ジーン (James Jean)

 

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ギレルモ・デル・トロ(Guillermo Del Toro、1964−、メキシコ・グアダラハラ生まれ)

 

長編監督デビュー作『クロノス』(『CRONOS』、1992)でメキシコ・アカデミー賞8部門受賞で注目をされ、『ミミック』(『MIMIC』、1997)でハリウッド進出。以降ハリウッドに拠点を移し製作を続ける。

本作は第75回ゴールデン・グローブ賞受賞(監督・作曲)、第74回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞、第90回アカデミー賞4部門受賞(作品・監督・作曲・美術)。

 

(*データは2018年3月現在のもの。以下も敬称略とさせていただきます*)

 

 

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映画パンフレット。

と、タイトルに因んで飲んでいた炭酸水入りグラスも一緒に。

 

ギレルモの新作ということで公開をずっと楽しみにしていた。アカデミー賞の発表前に観たのだけれど、話題作ということもあってテレビやネット、雑誌などから作品に関する情報が入ってきてしまいそうになること多々。その度に慌ててどうにか交わし続けて、何とかまっさらな気持ちで観ることが出来た。

 

綺麗でライトなカルト映画という感触で、観る人を選んではいないけれど底辺に淀んでビザールなアクがあって(クセではなく)、ちゃんとR-15指定な作品だったかな。

「A Fairly Tale for Troubled Times つらい時代のためのおとぎ話」というワードをもとにしてこの作品の構想は練られたらしい。私の好みとしてはもう少しSF寄りな描写があって欲しいところなのだけれど、ギレルモ作品の素敵さはファンタジックなところにあるからそれを素直に味わいたいと思う。

 

ここにある愛を薄気味悪いと言えばそれまでだし、わざわざロマンティックだと思うべきでもない筈だし、おそらくフィクションとリアルをどうリンクさせて楽しむか、この監督の個性をどう感じるか、によってこの作品の好き嫌いは分かれるだろうなぁ。

と、勝手に思ってみた。

 

以下、感想でも分析でもない何となくの記憶の欠片。

 

 

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「彼は不完全な私ではなくありのままの私を見てくれるの」。

主人公のイライザが友人に<彼>を語る言葉。(正確に記憶してはいないのだけど)

恋に堕ちた人が言う台詞だけれど彼女の場合相手はかなり異質で特別。

 

<彼>は人間でないから言葉も解らないし人間の常識も知らない。なので意地悪く言ってしまえば、彼女だけではなく全てをありのままにしか見られない。「ありのまま」も「私」も「見る」も「知らない」も、<彼>は知らないから。果たしてそれを「彼はありのままの私を見てくれるの」と感じてよいのだろうか。

ということはおそらくどうでも良いのだろうな。

彼女にとって、彼女の今までの人生において、それはきっと心臓が止まるほどの<出会い>だったのだろうから。

 

 

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The Shape Of Water。水の形。

触れるのに、飲めるのに、浮かべるのに、動かせるのに、それに<形>はない。

なんだろうな、水の形って。人の思いのような、生き物の細胞のような、命そのもののような・・・何て不思議なキーワードなのだろう。

 

今回、とーっても久しぶりに映画を観終わった後にサウンド・トラックCDを求めた。3月はずっとこのCDを流している。

自分であることの誇りと自由について歌う「This Is Me」(『The Greatest Showman』)が話題になっていて素敵な曲だなぁと思うけれど、私がここ最近好きなのはこのサントラの「You'll Never Know」。甘くクラシカルな感じが心地よい。

 

個性、ってきっと誰もがもつ宝物であり誇りであると同時になによりも、誰もが持つその人だけの<秘密>なのだと思う。それを<強さ>と勘違いしてしまう人がいるから困るのだな。。。本来は優しく暖かく密かなものなのだと思う。だから自分の個性を大事にしてもらえると安心するし嬉しいし、大切な人や何かのそれを大事にしたいと思うのだ。

 

ありのままの自分であれますように。ありのままのあなたを見る私であれますように。

ありのままのあなたに私を見てもらえますように。

 

You'll never know just how much I miss you ...

You'll never know if you don't know now...

 

 

        
2018.02.01 Thursday

世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦 / 板橋区立美術館

 

 

 

 

「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦

   / Beautiful Books Can Change the World:The Universe of Tara Books,India」

 

at. 板橋区美術館 (2017.11.25-2018.01.08 )

 

美術館内エントラス近くの掲示版ポスターをパシャリ↑

 

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タラブックス(TaraBooks)

 

南インド・チェンナイのティルヴァンミユール (Thiruvanmiyur) という小さな町にある出版社。1994年創設。

ギータ・ウォルフとV・ギータという2人のインド人女性が中心となり少ない従業員により出版活動をおこなう。

仕掛け絵本や写真集など色々な種類の書籍やインド以外の国の作家の作品も出版をしているが、ハンドメイドの絵本が特に注目をされている。

そのハンドメイドの絵本とは… ハンドメイドペーパー、インドの民族画家による絵、シルクスクリーンで刷られ、製本は1冊ずつ糸で製本。1冊ごとにシリアルナンバーが施される。


『夜の木 (The Night life of Trees)』(2006年)、『水の生きもの (Waterlife)』(2011年)は、ボローニャ国際絵本展など多くの場で高い評価を受け、沢山の言語で翻訳版が出版されている。

ワークショップや講演会などを行うと共に、絵本の刷り損じを使って作るノートブック「Flukebook」などのステーショナリーも制作・販売をし、これらの売上は若い印刷職人たちの学習・自立支援の資金として使われている。

 

http://tarabooks.jp/ 

https://tarabooks.com/

 

(*データは2018年2月現在のもの。以下も敬称略とさせて頂きます*)

 

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「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦 」展。

行ったのは1月…。という訳で、いつもながらの安定のタイムラグ・ポスト…。

 

もう終わってしまっているなぁと思っていたら何とまだやっていたので会期ぎりぎりに鑑賞。

館内において全ての作品への写真撮影の許可がされていたので数枚をこそっと嬉しく撮らせて頂いた。

あくまでも私の感想なのだけれど… 閉館間際だったので人は少なかったのだけれど、美術館内での写真撮影ってするのもされるのもやっぱり気が散るなぁと反省した。撮影OKなエリアや作品がしっかり限定されている方がありがたいかなぁ。

 

 

 

 

 

『夜の木』(『The Night Life of Trees』2006年)

(写真 …原画。ガラスのショウケース内のダミー本。)

 

絵/ バッジュ・シャーム、ドゥルガ・バーイ、ラーム・シン・ウルヴェティ

文/ ギータ・ウォルフ、シリシュ・ラオ

日本版… タムラ出版、2012年、訳:青木惠都

 

 

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タラブックスについては実はよく知らず、作品を見たり手に取ったりしたのがまず今回の展示で初めて。

魅力的な作品に出会えてとても面白かった。そしてその経営スタイルがまたとても素敵で、ごく普通に、新しく、進んでいく、って凄いことだなぁと改めて思った。

 

タラブックスの本達がもつ美しさは、特別なセンスや抜きん出たアイディアなどの「余剰」からではなく、歴史というルーツや生活というリアルという、人として生きていくための「必要」から生み出されていることによるのではないかと感じた。つまり、確かな土台があってこその美しさなのだと思う。

そのブレの無さが、現在の市場に出回っている相対的な評価でしか存在をしにくいモノたちの美しさに飽きて疲れてしまった人たちにとって、忘れていて求めていたもの なのだろうなぁ。余計なものがないシンプルな絶対感に、ある種の憧れのような感覚を覚えるのかもしれない。

なんて、小難しいことをちょっとだけ思ってみた…。

 

 

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今回の展示で私が特に興味をそそられた作品が2つあって、まずはポトウと呼ばれる絵巻物↓。

絵巻なのだけれど日本の絵巻とは違って縦にストーリーが進み、場面がワンシーンごとに区切って描かれている。紙芝居が縦に続いて巻物になっているような感じで、町で読んでいる参考映像を鑑賞できたのもとても面白かった。

併せて、紙芝居って動きを持って場面が切り替わるという行為がとても重要な役割を担っているのだなぁと再認識もした。

 

 

 

 

日本と太陽の感じが違うのかな、色味が新鮮。構図も力強さと温もりがあって心地よかった。

 

 

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もう1つ心に残ったのは若い女性の作家による作品『希望とはフルーツを売る少女』(絵と文/アムリタ・ダース、『Hope is a Girl Selling Fruit』、2013年)。

インドにおいて女性であることや、女性がクリエイティヴなことをすること、の難しさについて考えさせられた。

インドにおいて、ではなくこれは差異はあれど日本を含めた多くの国や地域において未だにある問い(問題、ではなく)なのだと思う。問い、なので本当はより多くの人で考えていかなければいけないのだ。。。(フェミニズムな意味合いではなく)

 

 

「世界を変える美しい本」という展示タイトル。私にとっては「世界に帰る美しい本」、かもしれない。

<世界>は変わらない。変えられない。そんなこと誰も何も出来はしない。

世界に必要とされ、受け要れられるような、世界にたどり着き、帰り着けるような、そんな何かこそがきっと「美しい」ものなのだろうな。

なんて、夢みたいなことをいつも思ってしまう…。

謙虚に挑戦し続けるしかないのだろうな。

 

 

        
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