Tabula Rasa
2017.11.14 Tuesday

puzzle pieces

 

 

 

 

        
2017.11.13 Monday

えほん遠野物語 ざしきわらし / 柳田国男:京極夏彦:町田尚子

『えほん遠野物語 ざしきわらし 』ブックデザイン・・・椎名麻美(Mami Shiina)

 

『えほん遠野物語』のシリーズはこの本を併せて全四冊が刊行されている。

文章は柳田國男の『遠野物語』が京極夏彦の筆によって現代語訳され、絵本用に類似エピソードを1つのお話にまとめたりもしている。

シリーズの他三冊…『やまびと』(絵 / 中川学)『まよいが』(絵 /近藤薫美子 )『かっぱ』(絵 /北原明日香)

 

*******

 

柳田國男(やなぎたくにお Kunio Yanagita、1875−1962、兵庫県生まれ)

民間伝承の会(1935年。のち日本民俗学会となる)を創始、雑誌「民間伝承」を刊行。

日本民俗学の基礎を築き独自の見解と立場からの研鑚を行う。

1951年に文化勲章受章。

 

京極夏彦(きょうごくなつひこ Natsuhiko Kyogoku、1963ー、北海道生まれ)

小説家。世界妖怪協会、全日本妖怪推進委員会肝煎。 古典遊戯研究会紙舞会員。お化け大學校・水木しげる学部教授。

『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門受賞(1996年)など、多く評価をされる。

『遠野物語remix』『遠野物語捨遺reloted』『えほん遠野物語』などにより遠野文化賞受賞(2016年)。

 

町田尚子(まちだなおこ Naoko Machida、1968−、東京都生まれ)

絵本の作品の他に挿画も手掛ける。

妖怪絵本『あずきとぎ』(文・京極夏彦/編・東雅夫、2015年、岩崎書店)、『ネコヅメのよる』(WAVE出版、2016年)など。

 

『遠野物語』(とおのものがたり TONO-MONOGATARI)

岩手県遠野地方に伝わる昔話や説話、伝承などをまとめたもの。遠野出身の佐々木喜善(ささき きぜん)を語り部として柳田國男がそれを筆記、編纂した。初版は明治43年(1910年)に350部の自費出版で刊行。

『後狩詞記』(1909年)『石神問答』(1910年)と併せ柳田國男の初期三部作といわれる。

 

 

因みに、この絵本のお話の元となる座敷わらしの記述は、『遠野物語』では十七〜二〇、『遠野物語remix』では B part 十七〜十九にあたる。

 

(*データは2017年現在のもの。以下も敬称略とさせて頂きます*)

 

 

・・・・・・

 

本編の感想の前に。敬意を表して、『遠野物語』について、思うままに何となく。

 

***

 

『遠野物語』を初めて手にとったのは確か高校生の頃。色々なところで名著として紹介をされ、学校の授業などで取り上げられたりもしていたので興味を持ったのがきっかけだったような気がする。

けれど。途中にもいかない段階ですぐに挫折。それ以降時をおいてトライしてみても挫折を繰り返すばかりだった。

まず文章が古めかしくて何が書かれているか解らなかったし、現代語訳を読んでみても何が言いたいのか(面白いのか)全く解らなかった。研究記録のメモ書きのような、小説試作のアイディア帳のような…なんだかともかくよく解らなかった。

 

それでもなぜか興味がひくことはなく、何度もの挫折を繰り返しながらやがて読み通し、大人になった今では気が向くと手に取って読む常備本のうちの一冊となっている。色々な経験やささやかな学びから知らないうちに未知のものを愉しむ体力と胆力がついたのかな。

日本に生まれたこと、いること、日本人であること…<日本>という遥かなる繫がりに思いをはせるきっかけを与えてくれる一冊だと思う。

なんてね。こんなこと言ったらかつての私に"ナァーニワカッタヨウナコトイッテルノ?"って笑われてしまうだろうな。…うん、絶対に大笑いされそう。

 

***

 

この絵本シリーズでとりあげられている山人(やまびと)やマヨヒガ(まよいが)、河童、座敷わらし、以外にも心に残るお話は沢山ある。私が特に好きなのはサムトの婆の話(八)。

本当に短いお話なのだけれど、人の生きる切なさが寄る辺なく、けれど颯爽と滋味深く描き出されていて、まるで短編映画を観たかのような気持ちになる。

 

恐ろしい話、美しい話、和やかな話…海や川を舞台にしたお話もあるのだが読んでいて思い出すのはやはり<山>。

土の匂い、風に揺れる草木の音、木々の隙間から見える空と刺し込む光、落ちて色濃く揺れる影、肌を撫でるひやりと湿度のある空気、歩く足元から伝わる大地の感触、耳の奥底から聞こえてくる自分の身体の内の音。。。

日常という下界から切り離され、時間と方位も失ったならば、もう 自分が解らなくなる。

 

***

 

読むときはいつも気分次第で、順を追ったり、好きなお話を選んだり、開いたところをそのままに読んだりしているのだけれど、一番よく読んでいるのは<初版序文>かもしれない。作者の思いや作品の成り立ちなどを知ることができ、何度読んでも面白い。歴史という大きな時の流れの中にいる自分を意識させられる。

 

「思ふにこの類の書物は少なくも現在の流行にあらず。」としながらも「要するにこの書は現在の事実なり。単にこれのみをもつてするも立派なる存在理由ありと信ず。」と心を決める作者の目指す視座と視界は高く広く、そして遥かだ。

 

「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」

 

広く知られる序文のこのフレーズと共に、献辞「此書を外国に在る人に呈す」に込められた作者の思いとその意図をぼんやりと考えてみる。のだけれど私にはまだその答えに手は届かず…。いつか知らないうちに気づくことが出来たら良いなぁと思いながら読み続けている。

 

過去と未来をつなぐ<今>という<時>をどれだけ自分の肌身で感じることが出来ているか。『遠野物語』は人々がいつの間にか失っていったものを呼び起こしながら、百年がたった今も読み手に読み手自身の<今>を問いかけているのかもしれない。

どうかこれからもこの作品が広く長く 沢山の人に愛され継がれてゆきますように。

 

さて。絵本へと。

 

 

・・・・・・

 

この絵本において座敷わらしのエピソードは二つある。

一話目は男の子の座敷わらし。二話目は二人の女の子の座敷わらし。

男の子と女の子二人は雰囲気のある妖艶な顔立ちで描かれており思わず見惚れてしまう。瞳の色が不思議な色合いで美しいのだけれど…私としては座敷わらしの瞳はごく普通で良かったかな。

山男(山人)のお話に書かれている「眼の色少し凄しと思はる。」(七)という箇所が印象的なので『遠野物語』において特別な瞳は山男こそのものであって欲しいのだなぁ、たぶん私は。

 

前半にインサートされている上空から見下ろした日本家屋の絵はおそらく、遠野地区に多く見られたという南部曲り家かな。いつか実際にみてみたい。

 

 

・・・・・・

 

町田作品を愉しみ眺めて(時に怖がり唸って)いつの頃からか感じ始めているのは、三角形が潜んでいる、ということ。

木の幹や扉や窓のサッシ、障子や建物の柱などの縦のラインにも目が行くのだけれど、<怖さ>が感じられる作品(ペエジ)にはどこかにきっと<三角形>が隠されている。

<三角形>とは、そのものズバリの三角形のモノではなく、三角形を作る構図であり、その構図とは、ラインによって描かれているのではなく、フォルムという存在まるごとによって描かれているのだ。

 

そのことに気づいてからはペエジごとに三角形を見つけることが楽しみになり、と同時に見つけた瞬間に目が合い見つけられてしまったかのような感覚が生まれて、実は怖さが更に深まっていってしまったりもする。

それは『ざしきわらし』で言えば、まず表紙の女の子の顔の輪郭や両肩、握り合わされた手。着物の合わせと帯揚げ。二人の間にある空間の形。

作中では、家の屋根や山、奥へと続いてゆく道や廊下、とぐろを巻く蛇や伸びをする猫、馬の顔から背中、下から仰ぎ見る植物たちや室内…など。

 

それ等は絵や風景としてごく普通に自然だから、一見するとはっきり<三角形>とは解りにくい。柔らかく穏やかに落ち着いた筆遣いで描かれている風景や情景をそのままに眺め、お話の世界に入り込んでいると、すぐにはきっと気が付かない。でも、潜んでいる。

何か違うなと、感じる。どこかが普通ではないなと、感じる。

不思議なお話だからかな、暗い色合いだからかな。だから何だか怖いのかな。。。

解らないけど 確かに 何かを 感じる。この感じが怖いのだ。

 

 

・・・・・・

 

上へ吸い込まれるような、下へ飲み込まれるような、予測不能な不安定感を感じさせる三角形。それは<結界>を創造しているのではないだろうか。

入ってはいけない、入れてはいけない世界。触ってはいけない、触られてはいけない存在。その禁は破られたが最後、それを侵し犯された人は元の場所にはもう決して、戻っては来られない。

そんな<結界>の暗示をいつの間にか植え付けてくる三角形がどのペエジにもサブリミナルに堂々と潜まされているので、いつの間にか読み手の心象に不安がひたひたと押し迫り、知らぬうちにじわじわと怖くなってゆくのかもしれない。

鮮やかな演出だと思う。

 

山深く、海の側、夕暮時、宵の口…、何てことはないごく普通の自然な日常の中でふと、見てしまい、見られてしまい、<何か>と合ってしまった…そんな人の姿が『遠野物語』には描かれている。

それは選ばれたものなのか望んだものなのか誰も知る由はないのだけれど、人はきっとその知る由もないものを必然または偶然と呼んで、それぞれの生き様を重ね、そして時に忘れて、物語を語り繋いで行くのだろう。

 

 

 

        
2017.11.12 Sunday

morning dreamin'

 

 

 

 

        
2017.11.12 Sunday

gold / EDEN

 

 

gold / EDEN

        
2017.11.10 Friday

gift / to : from

 

 

 

 

        
2017.11.09 Thursday

yellow, green and brown

 

 

 

 

        
2017.11.08 Wednesday

purple, green and black

 

 

 

 

        
2017.11.07 Tuesday

until forever

 

 

 

 

        
2017.11.06 Monday

somewhere

 

 

 

 

        
2017.11.05 Sunday

dusk

 

 

 

 

        
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